天命を待つには人事を尽くすしかない
こんにちは。
アドリブの文章を書く場合の弊害に、「支離滅裂になることがある」というものがあります。
書き始めはもちろん全然落ち着いてるんですが、どんどんアドレナリンが出て、考え事にふける。
その考え事にふけっている時間は当然ながら文章化しません。
だから頭の中で考えがまとまってからまた書き始めるんだけれど、その途中まで書いたところと、ふけってから書き始めたところで大きな溝ができることがあるのです。
ずっとAのことを書いていたのに、急にCに飛ぶ、みたいなことが起こっちゃう。
あるいは、ダブルスタンダードなことを一つの文章で書いてしまうこともあります。
ダブルスタンダードとは、例えばだけれど、命は大切にしなくちゃダメだよ!と主張しながら釣りをする、みたいな話です。
大事なのはお金じゃない、とか言いながら超ケチ、みたいな。
長生きしたい、とか言いながらタバコ吸ってる、とか。
時間を無駄にしたくない、とか言いながらソシャゲやってる、とか。
神なんか信じない、とか言いながら神社で手を合わせる、とか。
そういう相反する考えをナチュラルに持ち合わせてることをダブルスタンダードなんて言ったりするわけですが、僕も一つの文章内でダブルスタンダードを発揮することがあります。
具体的な例はすぐには出てこないけれど、最初はこういう主張だったのに最後の方逆のこと言ってるじゃん!と、文章を書いた次の日に読み直してみると気付くことがあります。
その度に自分にガッカリするし、やっぱりアドリブで書くもんじゃないな、と思ったりもします。
でも今日、「そんなネガティブに考えることでもないか」という風に初めて思いました。
というのも、ダブルスタンダードだったらダブルスタンダードで、自分の内面に客観的に気付けたんだからそれはそれでいいじゃないか、と思ったのです。
僕は文章を書くことは「考え事をまとめられる」という点で良いものだとずっと思っていましたが、「自分の考えを客観的に冷静に見れる」というのもあるんだな、と気付いたのです。
先にも書いたとおり、書いてるときは結構アドレナリンが出たりして、勢いでバーって書くことが多いです。
勢いで書いて、途中で詰まったらまた考えて、また考えがまとまったら勢いを持ってバーって書く、みたいな流れです。
そのときは自分なりにはよくよく考えられているだろうと思ってるし、ちゃんと書けてると大概思ってるものです。
だけれども、翌日冷静になったときに読み直してみると、一体これがまたどうして、昨日の「書いてやったぜ」感はいずこへ。
結構読み直して恥ずかしくなることが多いです。
それが辛かったりもするんだけれど、でも勢いでバーって書くことって、自分の内面がモロに出てるようなものだと思うのです。
最初っから書くことが考えてあって、それを上手に表現するときって、上手いこと書いてやろう(ぐへへ)みたいな気持ちが強く出るんだけれど、アドリブでポロッと書いたことって結構本質を突いてたり、自分の赤裸々な気持ちが正直に出ることが多いように思います。
だからこその恥ずかしさもある。
だから、その過程で生まれたダブルスタンダードがあるんだとしたら、僕はきっと無意識の内にダブルスタンダードなところがあるんだろうな、と客観的に思うことができる。
自分なりに整合性を持って、芯を持って生きているつもりだったとしても、気付いたら相反する考えを持ち、相反する立場を取ってるかもしれない。
それは多分練りに練った文章からは生まれないと思うのです。
確かに恥ずかしい。
そして、恥ずかしいと思うような文章は人様に読まれたくない、と思う自分もいる。
いっそ消したいときもある。
でも昨日も書いたけれど、意味だとか価値をどう感じるかは受け手次第です。
どんなに素晴らしい曲を作ったぞ!と自分で思ったとしても、それを実際に「良い」と感じるかどうかは聴き手次第。
僕がどれだけ恥ずかしがったって、その赤裸々な文章が「何かアツいものを感じる」という人もいるかもしれない。
バンドマンだって、若い頃の歌が恥ずかしいかもしれない。
でも僕達聴き手にはそんなことは関係がなくて、それがあったからこその人気なんだろうし、だったらその頃がやっぱり好きっていう人もいるんだろうし、その頃の曲で今から好きになる人もいるんだと思います。
「昔は歌が下手だった」みたいなバンドもいるかもしれない。
でもその下手なりに一生懸命歌ってる声が素敵に感じることもあるかもしれない。
というか往々にしてある。
むしろ「上手い」が弊害になることもある。
じゃあ文章も「上手い」が弊害になるかもしれない。
小難しい表現をたくさん使って小説化顔負けの文章をドヤ顔で書いたとしても、一般的な人には何が何やらちんぷんかんぷんな文章かもしれない。
それよりも「どこどこに行ってスイーツ食べました!超美味しかったです!」くらいストレートで正直な気持ちを書いた方が、分かりやすく伝わるかもしれない。
ともすると、絶対的に何が良いってこともないんだろうな、と思えてきます。
どっち道こちらでどうにもできない領域があるのなら、こちらでできる限りにことをやるだけです。
「人事を尽くして天命を待つ」なんて言葉もあるとおり、やれるだけのことをやったのなら、後はもう神のみぞ知る、です。
でもやらなくちゃいけないことは、人事を尽くすこと。
今の僕に人事を尽くせてるという確かな自信はないけれど、少なくとも今は今なりに精一杯考えて文章を書いています。
その結果がどうであろうかは天命を待つ。
もうそこからは僕の領域ではない。
あとはどれだけ自分を信じられるかです。
じゃあどうやったら自分を信じられるかと言ったら、どれだけ人事を尽くせているか。
要するにやれるだけのことをやるしかないんだし、やるべきなんだと思います。
簡単なようで、とっても難しい。
完